※解説の文章は、それぞれの本の中に書かれた著者のことばです。また著者の所属は、執筆当時の在籍校です。
「授業を拓く」シリーズ
I'm sleepyから始めよう
こんな小学校外国語活動もありでしょう
著=牛田康之(福岡市立長丘中学校)

 ”How are you?(調子はどう?)と聞かれた時の答え方の練習だ。”I'm fine.”(元気です)だけでなくて、いろいろあっていいんだよと言って、”I'm happy.”(幸せだなぁ)”I'm sad.”(悲しいなぁ)、”I'm excited.”(わくわくしてる)、”I'm hungry.”(はらぺこだよ)、”I'm tired.”(疲れてる)、”I'm sleepy.”(ねむ〜い)などを教えて練習してみる。そして、実際に数十人と会話してみる。「正直に答えていいんだよ。」とやさしく言うと、なんと半分以上がI'm sleepy.かI'm tired.だ。でも、それでもいいと私は思う。みんなfineでなくてもかまわない。本音の表現、それが基本だ。I'm sleepy.から初めよう!授業が進むにつれて、子どもたちの目が輝いてくるのを楽しみにして・・・。


出会う美術館
笑顔が発想の源
著=田代真一(うきは市立吉井中学校)

 そんな自分の授業の中に、ちょっとだけ素材と出会ってニヤニヤする時間を作ることがスタートだった。木彫をするなら木を頬に当ててみたり、植物のスケッチなら臭いをかいでみたりする、たったそれだけが実に効果的だった。なぜなら、植物のにおいだけで20分は盛り上がる。粘土にいたっては、いくら終わりと言っても手から粘土を放さない。そしてあちこちから「気持ちいい」という声が聞こえてくる。私自身が「なんだ中学生だってまだまだ子どもなんだ」と納得させられた瞬間であった。


10をこえる数、100、100をこえる数
位取りを土台にすえた数概念を育てる
著=新原さち子(小郡市立御原小学校)

 身の回りの様々な具体物を実際に数える体験が、位取りの理解を豊かにしていくと感じた。夢中で数える姿には、学習する喜びがあふれていた。色紙をまとめる方法として10枚ずつ封筒に入れていく子もいれば、輪ゴムで束ねていく子もいた。ペットボトルのふたを数えた子どもは、鶏卵パックの一穴に一個ずつ入れていき、鶏卵パックを重ねて「10、20、30・・・」と数えていた。手作りカウンターの窓に表示される数字が、具体的な塊のイメージと結びついている。「わかるとは・・・」と改めて思う。必要に応じて、自然に、友達の作業を手伝う姿がかわいかった。<数あてコーナー>で、友達と数のあてっこをするのも大好きだった。子ども同士の関係をつなぐものは、授業の質だと改めて感じた。


生きづらさを乗り越え、つながりと協働を築く
子どもたちの発達権を保障する子ども集団づくり
著=北口徹一(糸島市立加布里小学校)

 子どもたちをとりまく厳しい現実は、子どもたちを追い詰めている。しかし、生きづらさをお互いに分かり合い、共感し合うことで、子どもたちのつながりは、一回りも二回りも太いものになった。3年生の時から子どもたちの主体的な活動を通して、つながりをつくってきたことが実を結んだと思う。そして、保護者と話す中で、保護者も今の社会の中で、“生きづらさ”を抱えていることが実感できた。その“生きづらさ”に共感することで、保護者と本当の意味の協力関係ができる気がした。


「生きる」とは…
東日本大震災の教材化を通して考える
著=河村憲明(大牟田市立白光中学校)

 私が授業をした子どもたちの中に、父親が原発で作業員をしている生徒がいた。その子は、「印象に残った冬休みの新聞記事」という社会科の課題に、「九電、全原発が停止」という記事を取り上げていた。
 「僕のお父さんは、原発の修理や点検の仕事をしています。今は、玄海原子力発電所に出張しています。そこで僕はとても迷っています。原発を停止することによって、良いことや悪いことがあります。まず良いことは、放射能を防ぐということです。放射能はとてもこわくて、吸ってしまうとガンになったり、最悪の場合は死に至るということもあります。地球のためにもお父さんの健康のためにも原発停止は良いことです。でも逆に悪いこともあります。電気が作られなくなって、新聞に書いてあるように節電しなければならないということと、お父さんの仕事がなくなってしまうということです。お父さんの仕事がなくなると、お金の稼ぎが少なくなるのと思うので、早く原発を再稼働させてほしいです。


小2の筆算を上の位から
3年生を救った実践とその広がり
著=江頭峰子(久留米市立大善寺小学校)

 繰り上がり・繰り下がりのある学習をした後、まとめとして2時間続きで練習問題をした。みんな一生懸命に解いた。5分休みもなしで頑張っていた。20分休みになって、「もういいよ、あそびに行ったらどう?」と声をかけた。みんなは遊びに行ったが、A児はやめようとしない。「Aちゃん、休み時間よ。遊びに行っていいよ。」と促したが、「わかるけん、楽しかもん。」と言って、結局20分休みの間も計算を続けていた。A児は、繰り上がりも繰り下がりも上から計算していた。答えはほとんど正解していた。A児から「わかる喜び」と、「もっともっとやりたい」という意欲が伝わり、それ以降、A児は落ち着いて学習するようになった。


「こんな中学校があることを誇りに思います」
セルフイメージ高揚と学力保障
著=かわのとしお(筑紫野市立二日市中学校)

 生徒たちが「学び合い」で活発に動いているとき、自分は、教室の後ろでチェックリストの丸付けを行っている。一年間「学び合い」にとりくみ、「だれ1人見捨てんめぇ」という思いを高めあった学級だからこそできることである。耳では生徒たちの発言をチェックしている。丸付けはできるだけ早く終わらせ、その後は生徒たちの中で、「すごいやんか」とか「向こうで○○さんが上手な説明しよったぞ」と、生徒たちどうしをつなぐ声かけやつぶやきを行っている。


子どもたちの感性に響く実践をめざして
人権学習・平和学習を深める音楽科教育
著=田中基行(久留米市立良山中学校)

 「暮らしの事実を知り、事実の中にある人々の思いや願いにふれたとき人間はつながることができる」・・・先達によって培われてきた「自立の実践」ということを根底にした人権・同和教育実践を、今一度心に刻み、行動に移したいと強く思うのである。そんな中で音楽科として事実を伝え、事実にもとづいた楽曲を子どもたちの感性に訴え、意欲をもって表現していく音楽教育を創造していきたいと実践してきた。事実を元に創作された楽曲を通して、その中を生きてきた人々の思いを感性で捉え、子どもたちがこれから生きていく上での価値の形成につながるであろう一つの“点”を刻む。それは小さな小さな点にすぎないが、しかし、その蓄積こそが「事実を知ろうとする子どもたちを育てる」大切な点になり得ると、私は考えてきたからである。また、つかんだ学力を「差別をなくしていく側」でつかうことができる、そんな子どもたちを育てることにつながると考えているからである。


関数的な見方・考え方を学ぶ
実測を大切にした、4年「変わり方」
著=荒巻敏江(久留米市立宮ノ陣小学校)

 グループの学習は、苦手な学習にも安心してとりくめることや交流活動を通してさらに考えが深められることを児童が実感していったことが、「今日の学習で」から分かる。「人の意見をもらって、分からなかったことが分かるようになりました。」「やっぱり、グループ活動は楽しいですね。」「はじめさんがめもりを教えてくれました。そのおかげで、めもりがすこしよめるようになりました。」これらのことから、グループ学習が考察力を高め、学習意欲を高めるために大変有効であることが明らかになった。


「ほっておかん!」炭坑・朝鮮・部落問題学習を通して
著=福本秀史(田川市立後藤寺小学校)

 地域で生きてきた炭鉱労働者やムラの人々、あるいは「在日」の人々は、苛酷な労働や差別と迫害の中を生き抜いてきたからこそ、したたかさ・たくましさ・優しさを持ち合わせた。その“生き様”こそが、人々のつながりを強め、他者への関心や想像力を育んでいく可能性を秘めている。また、人間が生きていく上での普遍的な価値や「差別をなくしていく」生き方にもつながるものがあると考え、炭鉱・朝鮮・部落問題学習にとりくむことにした。これらの学習を通して、共生社会づくりの主体者を育成したいと考えたのである。


3年「一億までの数」
子どものわからなさに目を向けて
著=堀 剛(みやこ町立犀川小学校)

 例えば、一億は「1万が1万個」集まった数であるが、実際に数えさせるとなると容易なことではない。何を数えさせるのかがまず問題になるし、その準備にも手間がかかる。指導時数もより多く必要となる。結局、行き着くところ、自分のからだで「数える」作業をさせることなく、数の表し方やしくみを理解させていくことになる。果たしてこれで数の認識が確かなものになっていくのであろうか。教室には、1万という数字が読めても、「1万は100がいくつ集まった数か」と問われると、とまどってしまう子どもがいる。「1万より1小さい数はいくつか」という問いに、正しく答えられない子どもがいる。このような子どもたちの姿に目を向けたとき、私たちは「数の学習」のあり方を再考する必要があるのではないだろうか。


112個の「守り神」
「表現」と「鑑賞」を取り入れた「お面」の制作
著=熄シ 真理子(宗像市立日の里中学校)

 中学校1年生が作り上げたお面を見た時、正直感嘆した。並んだお面を見てなんと表現していいかわからないが、あえて言えば「品位」を感じた。それは一生懸命さがなければ生まれないものだ。「あんた達、すごいやない!こんなステキなものが作れるなんて。」日頃、上から目線で「・・・しなさい。」とか「・・・しなさんな。」とか言っているのに「ははぁーっ、参りました・・・」と対等、または子どものほうが授業者よりも大きく感じる。子どもの感性を侮れないと、襟を正し敬意を持つ感覚、これが美術授業の第二の醍醐味だ。


私たちの郷土に飛行場があった
八女地区における戦争遺跡の掘り起こしと教材化
著=中川紀洋(八女市立矢部中学校)

 自分たちの足で調べ、人に話を聞き、自主編成した地域の掘り起こしではあるが、単発的に授業の中に取り入れても、子どもたちの生活や将来に直接つなげることはなかなか難しいと思う。だからこそ、少しの時間でも日常的に子どもたちにつなぎ、考えさせるような取り組みが必要であろう。私の取り組みとしては、授業はもちろん、朝の会や帰りの会などでも機会を捉えて語ったり、新聞のコラム欄などを活用して、人権や平和、憲法や原発などに関する記事を印刷して配布したりしている。このように、世の中の動きに目を向けさせるようなことを意識的に取り入れ、子どもたちに考えさせるような取り組みを日常的にしていくことが何より大切であると確信している。そして、何より、子どもたちは事実を知りたがっているのである。ただ私たちが今まで、子どもの「知りたい」という欲求に十分応えきっていなかったのではなかろうか。


いろんな性別
LGBTについて学ぼう
著=北村淳子(福岡市立西陵中学校)

 長年、実践したいと考えていた内容が学年全体でとりくめて本当に良かったと思っている。この実践をためらっていた私の背中を押してくれたのは、近年の石崎さんやDVD教材との出会いも大きかった。DVDの制作者(「新設Cチーム企画」)を求めて、大阪の学習会や当事者たちの集会に参加した。全国にいるLGBTの方たちと会って学んだことも、教育を通して伝えていくことの大切さを教えてくれた。また、私だけでなく、西陵中学校の20・30代の仲間たちに授業の第2次で協力してもらい、自分の友だちや教え子にいる当事者の話をしてもらったことも、子どもたちに真摯に伝わった要因だと考える。この授業実践を通して、勇気を出して子どもたちの感性を信じて実践していく、そのために、日常の関わりを大切にしていく姿勢が何より大事だと痛感した。


心をつなぐ合唱指導
音楽科教育と集団作り
著=井上節子(福岡市立和白中学校)

 過去に、戦争へと突き進むための道具として音楽が使われた経緯がある。「音楽を道具に使ってはいけない」〜教研活動で学んできた中で、先輩や仲間が言っていた言葉だ。心が動かないと音楽の表現はできない。だからこそ、子どもたちの心を大切にしていきたい。常に立ち止まり、これで良いのだろうか、と自分に問いかけ、子どもたちの心に寄り添ってこそ、ほんとうの音楽を創ることができるのではないだろうか。


光とあそぼう
年・生活科と3年・理科をつなぐ
著=藤田彰二(宗像市立赤間小学校)

 今回の実践での最大の成果は、子どもたちの「すごい!」や「どうして?」という、驚きや疑問の声が多く聞かれたことである。遊びを通して自然にふれあいながら、多くのことを感じてほしいと考えていたので、とても良かったと思った。また、生活科の学習内容を研究することを通して、3年の理科とのつながりがどうなっているのかがよく分かったことも成果の一つである。さらに、宗像支部教研理科分科会のメンバーで協力して、ソーラークッカーや光で遊ぶ迷路などの教材を作ることができたことも良かった。1人ではなかなかできないことも、同じ志をもつ仲間が集まれば素晴らしい力を発揮できることを改めて確認できた。


自分たちで歌った!
ボーカロイドを使った教材づくり
著=江藤和彦(大刀洗町立本郷小学校)

 次の日、私は、特別支援学級の友だちと私たち担任の前で、もう一度歌ってもらうように二人に頼むと、二人は快く引き受けてくれた。今、自分たちが持っている思いや力を精一杯出して歌った。私も聴いて、ぼろぼろと涙が出てきた。お別れ会で、みんなからいろんなことばをもらって、それになんとか応えたいと思った二人は、「ぼくたちには、みんなに贈る歌がある」と思ったのではないだろうか。そして伴奏なしで思いをたくさんこめて歌った。まさに、友だちの思いに、音楽を通して自分たちの思いを返した姿だったのである。


「太陽の笑顔」がいっぱい!
子どもたちとの堆肥づくり・野菜づくり
著=小出博美(飯塚市立若菜小学校)

 この日、理科で温度計を使って気温のはかり方の学習をした。その際、それまで生ゴミと米ぬかを混ぜ込んでいた土の山のシートをはずしてみた。表面には、ところどころ白いカビが生えていた。それを掘り返してみると、発酵するときの臭いがした。そして、子どもたちが温度計を入れてみると約42°Cを示し、発酵が順調に進んでいるようであった。子どもたちは、その様子に驚き、土の山に手を置いてみるなどして、うれしそうにその温かさを感じていた。


3年「小数」
十進法をカウンターとミニますで学ぶ
著=荒巻敏江(久留米市立宮ノ陣小学校)

 今回の「小数」実践においては、子どもたち個々人に、実際に作業させて自分のカウンター、自分のミニます、自分のメスシリンダーを作らせた。そして、それらを使って自分の結果を求め、そこから分かったこと、考えたことを言葉で整理させてきた。実際作業と言語化を結合した学習の大切さを再認識しながら、なかでも、個々人による作業や思考活動が、各人の学習を深化させ、なかまによる思考活動をうながし、学びによって人間関係が育っていく有り様を捉えることができた。これからの授業づくりの土台に据えていきたいと考えている。


鉛筆名人への道〜自分の「目」を描く
著=山ア正司(嘉麻市立稲築中学校)

 単元最後の鑑賞である「気になる目」の鑑賞では、楽しみながらも同じ苦労をともにした仲間の作品をじっくりと味わっていた。このとき自分自身が感じたことであるが、美術に苦手意識を持っている子の作品も、そうでない子の作品も、鑑賞の際に黒板に貼られたとき、すべての作品が輝いて見えた。それぞれが同じ力で訴えかけて来るように感じ、いったん技術的な差がフラットになったような印象を受けたのである。子どもたちが自分の力を精一杯作品に注ぎ込んだことにより、作品の一つひとつが見る者に訴えかけてくる説得力を持ったからではないかと感じた瞬間だった。